2010年11月10日

両親について

一昨日夕方に実家のお母さんから電話がありました。
内容は「赤ちゃんはどうもないねぇ?」という電話でした。
「何もないよ~。普段と同じ~」と返答しましたが、
その夜中にトイレに行ったらすごく出血→緊急受診(入院用品も持って)しました。
そのまま入院になるかも・・と思ったんだけど、意外に出血があっさり止まり
お腹も全く張ってない(いつものことながら)ので深夜2時に家に帰ってきました。

普段あまり電話をしてこない母。
普段はボケたことばかりしてるけど時々妙に感がいいときがある。
なので、母の言葉は右から左へ~という風に流さないようにはしている。

今 母は実家で離婚した妹と妹の子供たち4人(全部女でほぼ年子)の面倒を見ている。
妹は普段働いているので、子供たちが学校から帰る時間には母がいるようにしているんだけど、娘の私らが幼い頃、母はいつも家にいてくれるような人ではなかった。
専業主婦であるにも関わらず、毎日人のために動くことが好きで毎日不在。
保温機能のついてない炊飯ジャーに入っている冷たく硬くなったご飯におしょうゆをかけて
海苔で巻いて自分で自分のこと、兄弟のことをしていた。
電話で母のいるところに電話をして「おなかすいたー。何時に帰るの?」と
しょっちゅう聞いていたもんだ。

母は夕飯時間にも遅れて帰ってくることもあったので、
父にそのことで叱られてもへこたれず、人のことやボランティアばかり・・。
いい加減家族にもボランティアしてほしいと思ったものだ。
今ああいうことをすると多分「ネグレクト」にあたるほどだと思うw。

おやつも何も用意されてないので、牛乳に砂糖を入れて小麦粉を入れて
何かが作れるんじゃないかと試したり(凍らせてアイスを作ろうとしたけど失敗w)
知恵がついてくると、近くのスーパーで付けで買い物をして
それでサーターアンダギーを作ったり(小学校5年生のころ)、白玉団子にきな粉を
まぶしておやつを作ったりとあらゆるものを自分たちで頑張って作った。

母の放置プレイのお陰で私は小学生のころにすでにある程度の料理はできるようになり、
弟もそれで料理が好きになり今ではシェフとして働いています。
妹は、私たちが守らないと!と思って色々してあげてて妹が何かを作ることが少なかったので全く料理をしない女に成長しました(爆)

母も4姉妹の末っ子で一番上の姉とは20歳も年齢が離れていたせいもあり、
料理を大人になるまでしたことがなかったそうです。
宮古島の出身ですが、成人して那覇に出てきて呉服屋さんの家に住み込みで家政婦として働いたのがはじめての仕事とか言ってましたが、お米も洗剤で洗ったり
ご飯すら満足に作れない家政婦・・・(よくやろうと思ったよね・・・って思うけど)
クビにならずに随分と長く働かせてもらったようです。
なのに、お料理は上手!とは言えない・・。
チャンプルー専門っていう感じですw。
でも、久しぶりに帰って食べる母の食事は一応美味しく、なつかしく感じるのが不思議ですw

その放置プレイの母が今では、孫の世話をよくしてくれてます。
「自分の子育ての時は無我夢中でそんなひどいことしてたかねぇ?って記憶にもないさ~」
と笑ってごめんねぇ~という母ですw。

父は戦争孤児なので、両親がいません。母も宮古島に親がいることもあり
しかもすでに高齢だったこともあって、子育ての協力者は殆どいなかったんだと思います。
だから無我夢中で子育てしつつも、時々ずれたことをしてても気がつかない等・・・
色々あったんだと思います。子育ての協力者がたくさんいる私でも母が大変だっただろうなと
いうことは子育てをしている今はよく理解できます。だからこそ、協力者は必要なんだと
母も客観的に孫を見れるようになってそれをわかるようになったんじゃないかと思います。

父のことにも少しふれましたが、父は戦争孤児です。
私にとっては実の父ではなく義理の父です。弟妹にとっては実の父です。
私が1歳のころ、母とお見合いで結婚したそうです。
父は親戚の家をたらいまわしにされ、学校にも通わせてもらえず、いまだに文字の読み書きができません(だから病院や銀行、市役所が大嫌いです。。用紙に書くことが多いので)
父は私と兄弟を区別することなく(私がやんちゃだったので結構厳しくされましたけど)
育てられたので、兄弟もみんな仲良しです。

思春期のころは父が酒乱気味だったので、私と口論になることも多々ありましたが
色々な戦いのすえw、無事仲直りをし、酒乱も治って今は穏やか系じいちゃんです。
顔が八重山のアンガマーのお面に似ているので、うちの息子は色黒のじいちゃんの顔を
見ると本気で怯えて泣きますw(内地にはいない顔なのでw)

若い頃は組に入ろうとしてチンピラになっていたそうですが、
兄貴といわれる人に「あんたは心が良いからこの道に進むな」と言って
やめさせられたと聞きました。
それから左官業一筋でいまだに毎日仕事に行ってます。
孫の面倒も良く見てくれます。公園に連れて行って遊んでくれたり散歩など。

10代の頃は両親があまりにも適当な考えだったりってことが許せなくて
文句ばっかり言ってましたが、ああいう適当さも必要だということが
何となくわかります。旦那が言うには私はお母さんにそっくりらしいんです。
いやだ~って思うんだけどw。
忘れっぽいところや、都合の悪いことは覚えてなかったり
根拠のない自信がやたらあったり・・等。

両親も70歳を越えたのでいつまでも元気とは限りません。
遠くにいる私も何かあったときは妹や弟たちにまかせっきりじゃなく
沖縄にすぐ飛んでいこうと思ってます。

またズラズラと思い浮かんだことを書き連ねてしまいました。
読みにくくてすみません。

明日は受診です。
チョコビスケット食べちゃいました・・・
ヤバし!

明日は息子のお弁当持参日です。
キャラ弁は作れませんが、美味しく食べてもらえるよう頑張ります!





Posted by kate at 14:00│Comments(0)
 
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