2010年12月07日
おばあちゃんについて
12月9日は母方の祖母が亡くなって13年目になります。
97歳まで宮古島の自宅で一人暮らしをし(近所の親戚のような付き合いの方に支えられ)
白内障が進み外のトイレに夜中行くのが危ないし、高齢だということで
私の家に同居することになり、97歳という高齢にも関わらず那覇の我が家に
引っ越してきました。
母たちは4人姉妹で長女が旦那さんを婿養子として結婚していたのですが
2人とも60代という若さで他界。孫(といっても50代)がおばあちゃんを
見れないということだったので、家の部屋数が多く、母も祖母と一緒に生活したい
という気持ちが強くうちに・・ということになりました。
おばあちゃんはヘビースモーカーでした。
かすりの着物(普段着の着物)を毎日来て、髪の毛は腰まであるので
束ねて頭のてっぺんにお団子にしてかんざしで留め、片手にはタバコをプカプカ
歯のない、ふがふがした口で(まるでお猿さんのよう・・おばーごめんねw)
タバコを美味しそうに吸っていました。
耳が遠かったので大きな声で話さないといけなかったんだけど
電話が鳴ると聞こえるらしく電話も取ってくれていました。
しかし・・・・相手の言うことが聞こえず話にならなかったことが多かったようですが。
年齢を重ねるにつれ、白髪がだんだん黒くなってきて不思議でした。
「おばー 若返ってるねぇ? 髪の毛 三つ編にしておさげにしてみよう!」
と私が提案してやってあげ、鏡に見せると恥ずかしそうに笑ってくれました。
定期健診があり、行ってみると肝臓がガンになっていたおばー。
でも老人なので進行が遅いということで、一気にどうにかなるというわけでは
なかったんだけど、環境の変化もやはりおばーには大変だったのかもしれない。
食事の支度は私とお母さんで交代で。
あと夜中はトイレまで歩くと危なかったので
部屋にポータブルトイレを置いていたんだけど
それでも危なそうなときは私が部屋まで行って手伝ったり、
腰痛がひどくて起き上がれないときは、体を清拭してあげたり、
一緒に住んでいたのは2年ちょっとでしたが色々経験させてもらいました。
おばーには感謝しています。
最後のお別れの瞬間は私は会えなかったけど、
早くおじーに会いたいと言っていたし、あの世に早く行きたいと
ずーっと言ってたので今頃はおじーと会えて、また生まれ変わってたりするかもw
方言がわからなかったので、おばーが私ら孫に合わせて
標準語を使ってくれていました。
普段から母方の親類が集まると宮古の方言で会話をしているのですが
幼い頃から聞いていても何て言ってるのかさっぱりわからず・・。
韓国語のような?ドイツ語のような?
日本語のフレーズが殆どない沖縄の言葉とはだいぶ違う言葉
やっと高校生くらいになってわかる単語は増えてきたけど
一気に話されると全く理解不能で英語のほうが簡単だと思えるほどでした。
父は被害妄想がちと激しいほうだったので、俺の悪口言ってるんだろ!とか
言うこともありました(笑)おばーがあんたの悪口言う人間に見えるのは
あんたの心が悪いからだと私に一喝されて、
私とお父さんの喧嘩になることもありました。
久しぶりに宮古の方言を聞いてみたくなったのでyou tubeで探してみました
ありました!下地勇さんがいいこと話してます
ね? 外国語みたいでしょ?
最後におばーが言ってくれた言葉
私が私生児になることや母が苦労することを心配したおばーは
お腹の中にいた私のことを堕胎するように母に言ったそうです。
一緒に住みはじめてからおばーが方言で
「お腹の中にいたころ おばーはおろしたほうがいいと言ったけど
おばーは間違えていたよ。ごめんね。こんなに成長できて
今ではよかったと思っているよ」と言ってくれました。
すごく嬉しかったのを思い出します。
おばー、ひ孫がまた増えたよ~。
遠いけどたまに見にきてね。
97歳まで宮古島の自宅で一人暮らしをし(近所の親戚のような付き合いの方に支えられ)
白内障が進み外のトイレに夜中行くのが危ないし、高齢だということで
私の家に同居することになり、97歳という高齢にも関わらず那覇の我が家に
引っ越してきました。
母たちは4人姉妹で長女が旦那さんを婿養子として結婚していたのですが
2人とも60代という若さで他界。孫(といっても50代)がおばあちゃんを
見れないということだったので、家の部屋数が多く、母も祖母と一緒に生活したい
という気持ちが強くうちに・・ということになりました。
おばあちゃんはヘビースモーカーでした。
かすりの着物(普段着の着物)を毎日来て、髪の毛は腰まであるので
束ねて頭のてっぺんにお団子にしてかんざしで留め、片手にはタバコをプカプカ
歯のない、ふがふがした口で(まるでお猿さんのよう・・おばーごめんねw)
タバコを美味しそうに吸っていました。
耳が遠かったので大きな声で話さないといけなかったんだけど
電話が鳴ると聞こえるらしく電話も取ってくれていました。
しかし・・・・相手の言うことが聞こえず話にならなかったことが多かったようですが。
年齢を重ねるにつれ、白髪がだんだん黒くなってきて不思議でした。
「おばー 若返ってるねぇ? 髪の毛 三つ編にしておさげにしてみよう!」
と私が提案してやってあげ、鏡に見せると恥ずかしそうに笑ってくれました。
定期健診があり、行ってみると肝臓がガンになっていたおばー。
でも老人なので進行が遅いということで、一気にどうにかなるというわけでは
なかったんだけど、環境の変化もやはりおばーには大変だったのかもしれない。
食事の支度は私とお母さんで交代で。
あと夜中はトイレまで歩くと危なかったので
部屋にポータブルトイレを置いていたんだけど
それでも危なそうなときは私が部屋まで行って手伝ったり、
腰痛がひどくて起き上がれないときは、体を清拭してあげたり、
一緒に住んでいたのは2年ちょっとでしたが色々経験させてもらいました。
おばーには感謝しています。
最後のお別れの瞬間は私は会えなかったけど、
早くおじーに会いたいと言っていたし、あの世に早く行きたいと
ずーっと言ってたので今頃はおじーと会えて、また生まれ変わってたりするかもw
方言がわからなかったので、おばーが私ら孫に合わせて
標準語を使ってくれていました。
普段から母方の親類が集まると宮古の方言で会話をしているのですが
幼い頃から聞いていても何て言ってるのかさっぱりわからず・・。
韓国語のような?ドイツ語のような?
日本語のフレーズが殆どない沖縄の言葉とはだいぶ違う言葉
やっと高校生くらいになってわかる単語は増えてきたけど
一気に話されると全く理解不能で英語のほうが簡単だと思えるほどでした。
父は被害妄想がちと激しいほうだったので、俺の悪口言ってるんだろ!とか
言うこともありました(笑)おばーがあんたの悪口言う人間に見えるのは
あんたの心が悪いからだと私に一喝されて、
私とお父さんの喧嘩になることもありました。
久しぶりに宮古の方言を聞いてみたくなったのでyou tubeで探してみました
ありました!下地勇さんがいいこと話してます
ね? 外国語みたいでしょ?
最後におばーが言ってくれた言葉
私が私生児になることや母が苦労することを心配したおばーは
お腹の中にいた私のことを堕胎するように母に言ったそうです。
一緒に住みはじめてからおばーが方言で
「お腹の中にいたころ おばーはおろしたほうがいいと言ったけど
おばーは間違えていたよ。ごめんね。こんなに成長できて
今ではよかったと思っているよ」と言ってくれました。
すごく嬉しかったのを思い出します。
おばー、ひ孫がまた増えたよ~。
遠いけどたまに見にきてね。
Posted by kate at 15:21│Comments(5)
この記事へのコメント
はじめまして。
たまたま通りすがりですが、素敵なお話で心にじわ~っと来ました。
ありがとう。
たまたま通りすがりですが、素敵なお話で心にじわ~っと来ました。
ありがとう。
Posted by nico at 2010年12月13日 00:00
文章力があまりないので読みにくかった部分もあったかと思いますが、読んでくださってありがとうございます。
子供が出来てから先祖からの命のつながりとか色々考えることが多かったのもあって
久しぶりにおばーを思い出してみました。
また遊びに来てくださいね
子供が出来てから先祖からの命のつながりとか色々考えることが多かったのもあって
久しぶりにおばーを思い出してみました。
また遊びに来てくださいね
Posted by kate at 2010年12月13日 12:07
初めまして(^-^)
足跡からきました!
私のひ~おば~も90たばこ吸ってたの思いだしました。
心に響くお話。。。また寄らせて頂きます。
そして出産おめでとうございます。
足跡からきました!
私のひ~おば~も90たばこ吸ってたの思いだしました。
心に響くお話。。。また寄らせて頂きます。
そして出産おめでとうございます。
Posted by ayano
at 2010年12月15日 15:50

ayanoさんへ
ayanoさんのひーおば~もスモーカーだったんですねぇ(^u^*)
コメントありがとうございます!
つたない文章ですが、また来てくださいね。
ayanoさんのひーおば~もスモーカーだったんですねぇ(^u^*)
コメントありがとうございます!
つたない文章ですが、また来てくださいね。
Posted by kate at 2010年12月16日 23:02
̂Ȃɂ͔ގȂ̂ł傤HϋɐHepHtFHBȎł͂Ȃ̂ł
Posted by ގłȂ at 2011年06月15日 04:46